私のファープレーンナイト

先日初めてファープレーンナイトへ行ってきました。
大阪の大規模なフェティッシュイベントです。

妊娠前までずっとレッスンを受けてくれていた
シェリーちゃんが出演するというので観に行きました。

ポールダンスではない出演でしたが、もともとダンスをやっているシェリーちゃんはとてもかっこよかったです。

衣装で写真撮り損ねた。。

 

お声をかけて下さった皆様ありがとうございました
お写真一部ですが、、、

 

今回わざわざブログに書いたのは、ショーの合間のDJタイムのこと
踊ってないのに割と前のほうにいた私に、あるドイツ人のおじさんが英語で話しかけてきました。

えらいスピードで話すうえ、爆音の音楽
なんとか聞き取れたのは、「この音楽はテクノで〇〇bpmだからこう踊るんだ」「俺は御園ユニバースの上に住んでる」という話

合ってるかわからないけどそう聞こえたのです。

スピーキングが超絶苦手な私は何とか答えようとしたけど、あまりにも返事が遅いので変に思ったらしく、おじさんは私の連れに聞ききました

 

「彼女はどこの出身だ?」

どうやら私のことを外国人だと思って話しかけていたのでした

 

この現象は初めてではなくて
よく観光客と間違われてHELLOとこえを掛けられるし
どこか外国人に見える何かがあるみたいです

だけど私は本当に英語を話すことにコンプレックスがあって、話すのが苦手。

本当は喋りたかった。
だけど怖くて喋れない。

 

 

高校生の頃、th(θ)が発音できなくて、ハーバード大学を音声学専攻で卒業している当時の先生は、授業中にも関わらず私をトイレに連れて行きました

トイレの手洗い場の鏡の前に立たされ、泣くほど発音の練習をさせらました。

私は決してふざけていたわけではなかったのに。

かなり屈辱的で

クラスは凍り付いていました

 

 

 

また別の先生は私のⅤの発音がBに聞こえると何十回も発音させ
またもやクラスは凍り付きました

この先生も音声学専攻でした

 

 

最近分かったことだけど、ひとより舌が長くて顎や鼻に付けられるくらいなので
発音がしにくいということらしいです。

どうして真剣にやっているのにこんなに吊るし上げられなければいけないのか。

勉強が嫌いだった私の中で唯一やる気のあった英語だったけれど、

そのころから話すことを止めました。

 

 

制服で選んだ馬鹿学校だったので

そもそもカリキュラムはイカレていました

なんと高校英語の文法は一切教えてくれなかったのです

私はいまだに中学止まりの英文法しかわかりません

 

 

そんなこんなで英語は見事に私のコンプレックスとなりました。

 

 

その後、ポールダンスを始めて、世界のポールダンサーにあった時、話したいから、という理由で何度か勉強しなおそうとしたけど続かず

スピーキングをどう勉強していいかもわかりませんでした。

 

 

 

少し話は飛ぶけれど、
私が京都にいたころ、ポールのレッスンに来てくれていたマレーシア人の
Jちゃんという子がいました。

その子は理系で、お仕事も理系の研究職に就いていました。

子供のころは親の仕事の関係で、引っ越しに伴って、各地の語学を習得していた秀才でした。覚えているだけでも五か国語は話せるんじゃないでしょうか。

 

 

Jちゃんは初めて会った時からなんだか友達のような気がして

私から話しかけました。久しぶりに英語で頑張って話しました。

Jちゃんは日本語もできると知ってからは日本語で話すようになったけど、、

そんなJちゃんとは今も連絡を取り合っています

 

Jちゃんは最近半年くらいでスウェーデン語をマスターしました
私は頭が上がりませんでした

 

そんなJちゃんの事もあって、

今回ファープレーンナイトに行って、そのおじさんに出会って、
やっぱり話せるようになりたいと思いました。

 

そして決意しました。

 

もう一度勉強します。

 

今までは参考書とかを買いなおしたりしていたけど、

今回の先生は携帯アプリとYouTube、そしてInstagram

既に参考書ではわからなかった事がたくさん学べています。

 

これ以上自分を嫌いになりたくないから頑張ろうと思います。

 

自分の人生でやりたいと思ったことは大体飛び込んできました

新体操やバレエなど、年齢的に手遅れだったのは別として。

悔いが残るのはいやです。

出産が終わったら一人の時間は取れなくなると周りからさんざん聞かされているので、残り約半年、集中して英語を勉強してみようと思います。